前の職場で一番病んだ時。
天野さんというご利用者様のお陰で
頑張ることができた。
私より先に卒業してしまって、
わたしは退職することを話せず。
でも手紙書いてねって言われて、
手紙書きますねって伝えて、
全然書けてなかった。
でも忘れることはなかった。
天野さんはわたしにとって恩人だから。
必要としてくれた人だから。
福岡に帰ってきて、仲良しな看護師さんの
古幡さんと電話してたら、
今書こうって思って書いた手紙。
今日、返信を楽しみに待ちながら、
きてた。嬉しかった。
5枚も書いてくれてる。
字が昔の字でわからないところもあるけど、
自分なりに読んだ文章を残すことにする。
天野さんのありがとう。
竹下様。
私は今夢の中にいるようです。
ここに入れた百人一首の歌のようです。
大好きな詩で寂しさや悲しみの私の心の中に
入り込むときこの歌を口にしています。
竹下さんの愛に満ちた優しさは、我が娘のようでお会いする時間は、私の心のなぐさめとなっていました。突然のようにゆずりはから去ることになったあの日のこと、自分を信じられない。ここに私の居場所がなくなるのだ。今の今まであの時の心億を思い出すことが出来ないでいます。ゆずりはの四年余りの歳月は忘れることの出来ない歳月です。本当に私はここにいられなくなったのだ。どうしてここに居ることが許されないのかと、今もって信じられないことでした。車に乗る。これでもうここには来ることはないのかと、そうして最後のゆずりはを見届けようと、窓から眼を見開いた。古幡さんがそっと涙を拭いて近づこうとしなかった。
竹下さんが窓まで手を伸ばして何かを私に言っていられたようだが、もう胸が一杯になった。
さようならの言葉が言えなかったような気がしている。愛すべき大切な友。
これで永遠の別れだったのでしょうか。
可愛らしい娘のようなあなたへの限りない愛は
この記した詩のように、心の奥深く残っています。もう何年経ってしまったのでしょうね。今も私のような人が存在していたこと、思い出して下さったのですね。不思議なことが起きるものですね。昨夜、古幡さんから電話があったのです。
20時過ぎ今、家に帰って来たところ、あなたからの手紙が来ていたのです。有難う。元気を出してねと昨夜話をしたばかり。そしたら今日になったら、今、このような竹下さんのお手紙が来るなんて、不思議と思いませんか。
私のその時はぼんやりして一人で何を考えていたのでしょう。
あなたが立派になり、かけがえのない人生を送られていること、きっと私を励まして下さっている姿が涙が出そうに嬉しくなりました。
素直な気持ちになれる。傷付いても、笑われても、バカと言われても自分を信じて生きていくこと、自分を信じるって傷つく覚悟のことを言う。それがありのまま生きると言うことで、その覚悟と男気があれば、何も怖くないから、気楽に生きられます。たくさん悩み、たくさん愛を育んで下さい。
私の生き様は悔いばかりが多かった。自分が変わらなければ、何も始まらなかった。寂しさやおぼつかなさへの不安に身をさいなむことなく、自らのせつりに従って生き通したいもの。
ゆっくりと老いてゆくこと。
今は私は95年の歳月を歩き続けている。このかけがえのない時間を愛おしみながら、小平市にある介護支援施設デイサービスに通っています。一人暮らしの日々に少しでも刺激があったらと言う希いです。
まだ慣れない日々ですが、それでも人の姿と声が聞こえることの時間を大事にしています。
世の中には優しい心の人々がたくさんいられると言うこと、よく生きて、よく死ぬことだと思います。
竹下さんの愛するお方、お目にかかりたかった。
たくさんの数えきれない様な愛を育んで下さい。
幸せは自分で築き上げるもの。
辛さを堪えてその辛さはやがてあなたの力となるはずです。
頑張らなくていいのです。
ありのままでいいのです。
やがて舞台は廻るものですから。
私のこと忘れないでいて下さったこと、不思議なことが起きましたね。辛かった分だけ春が楽しみです。桜の花がきっと幸せを送り届けてくれることでしょう。本当にお懐かしい愛を有難うございました。